◯独白
最近の流れと比較すると、俺にはそこまでの人気はなかった
それでもよかった
いつも近くにアイツらがいたから
毎晩のように馬鹿騒ぎして、大笑いしあった
全て上手くいく、幸せな日がずっと続くと信じていた
ーー壊したのは他でもない俺だった
俺の一度のミスがグループを壊滅に追いやった
幸いと言うべきか、他のメンツは何かしらの形で難を逃れることができた
俺はというと、惰性で動画を投稿するくらいにまですっかり落ちぶれていた
お似合いだ
責任を取るってのはそういうことだからな
配信者としてーー「かとりっち」としての俺はいつ死んでもおかしくない
◯好きに理由を求めるな
一般的に大学生は高校のときと比べてかなり自由に使える時間がある。
実際に僕の同級生はその時間を利用して遊びに行ったり、アルバイトに勤しんだり、或いはサークルの活動に打ち込んだりしている。
僕はというと、それらがライバーとしての活動に充てられる。
動画編集、ミックス、配信、スタジオ収録など様々。
更に一人暮らしだからその他諸々生きるために最低限のことをするのも踏まえると、意外と時間がない。
他の先輩ライバーの方々もよく言うのだが、自分が提供する側になるとなかなか他の人の動画を見ることが出来ない。
高校時代好きで見ていた人たちの動画を見る纏まった時間もなかなか取れない。
だから、今日のように久しぶりに見ると色々と収穫がある。
このとき、ライバーのアカウントで動画を閲覧するのは色々と問題があるので、シアンの背景に佑李と書かれた自分自身のアカウントを使用している。
例えば、理由を明言せず動画投稿が止まっている人。
多くのVtuberの場合、引退するなら大抵サムネイルに決まって卒業の2文字がつく。
或いは、一時期から趣味と合わなくなって敬遠していた投稿者が多くのチャンネル登録者を得ていた場合。
その場合はその人が何故数字を伸ばすようになったのかを出来る限り分析する。
因みに、この一連の作業は専らベッドの上で仰向けになって行っている。そのためしばしば睡魔に襲われることもある。
「……痛っ」
スマホが顔に降って強制的に微睡みが解除される。
同時に顔面と液晶面が触れたことで僕の意思と関係なく動画が再生された。
内容は所謂宇宙人狼というゲームの実況プレイ動画。
多人数でプレイするゲームで、プレイヤーは2頭身のキャラクターを操作して様々なタスクを行う。プレイヤーは大きくクルーメイト陣営とインポスター陣営に分かれて、クルーメイト陣営は銘々に課されたタスクを全て行うかインポスター陣営を全員見つけ出し、追放すれば勝利。方やインポスター陣営はクルーメイト陣営にバレないように敵をキルし、最終的にインポスター陣営とクルーメイド陣営が同人数になれば勝利。また特殊な例として、サボタージュという仕様上の妨害行為によっても勝利となる。
宇宙人狼を専門的に扱っている配信者の場合ここに外部のMODを輸入したり、デフォルトで存在する役職を追加したりする事でゲームを複雑化し面白みを持たせる、というのが最近の風潮となりつつある。
僕が同じ箱の人とやった時はインポスター陣営二人が同時に同じ人をキルし、会議開始前の死体報告欄にその人の名前が二つ表示されるというバグが発生して図らずも少し話題になった。
今見ていた動画の投稿者はかとりっち、という人。例に漏れずこの人も宇宙人狼の配信者の一人だった。業界ではかなりの有名人で『かとり船行』という宇宙人狼配信グループのリーダーだったのだが、
「焼けちゃったんだよなぁ……」
ある時を境に宇宙人狼の動画投稿が途絶え、以降は関係のない動画を、それまでより低頻度で投稿している。
僕はこの人の活動スタイルがかなり好きだった。大人数でワイワイやって感情を本気でぶつけ合って、それでもお互いを本気で愛し信頼し合う。表裏のない、まさに理想のインフルエンサー。
炎上した理由は一言で言うと世間の許容ラインの誤認。
ゲーム業界にはゴースティングという単語がある。配信画面に映らない画面、または別の端末でライバルや他のプレイヤーの配信画面を覗き見て自分の戦局を変えようとする行為。
より身近な言い換え方をするならカンニング。それをかとりっちさんはやってしまったというわけだ。
謝罪配信の中では涙ながらに「悪ふざけのつもりで」という趣旨のことを述べていた。
かとりっちさん本人がリーダーを勤めていたその配信者グループは俗にいうエンジョイ勢で、対義に位置するガチ勢と違って宇宙人狼を完全な遊びとしてプレイしていた。だからというべきか、ゴースティングが許されると無意識的に考えていたのだろう。
僕個人の見解としては、それまでかとりっちさんが関わってきたエンジョイ勢以外のガチ勢の面々にも迷惑をかけてしまったので許されるべきではないが、他方でそういう空気でやってきたので仕方なかったのだという見方もできる。
少なくとも、過去動画やたまに投稿される動画を見ている限りではこの人は悪人ではないと理解できる。
あれは最初で最後の過ちなのだ、と。
内に秘める情熱やエネルギーは彼の活動開始から9年を経とうとしている今でも変わっていない、そう信じている。
この人はここで終わっていい人間ではない。
1
スタジオ収録の頻度は大学の講義よりも低い。
自分から遊びやオフコラボなどを誘わない限り、同期や他のライバーの人と出会う機会はスタジオ以外ではほぼない。
専業でライバーをしている人はスタジオに来るたび「人間に会ったの久しぶりだわぁ」と呟く。
自宅を後にして割と早く到着した僕が楽屋に置かれたお菓子の八つ目に手を伸ばしていると、静かに楽屋のドアが開いた。
右手で目を擦りながら入室してきた小柄な女性は今日の共演者且つ先輩の一人である因幡兎月(いなばとげつ)という方。
チャンネル登録者数は現在58万人、鷹揚ながらも溌剌さが垣間見えるというギャップが人気を呼び、ファンや同業者からは「とーちゃん」や「いなちゃん」などの愛称で親しまれている。因みに本人を前者で呼ぶと無言で優しく殴られる。
「佑李ちゃんおはよ〜、今日も早いねぇ」
一応僕にもライバー名として美鶴戯瀬名(みつるぎせな)というものがあるが、本名の方が可愛いからとオフでは佑李で呼ばれる。
「おはよう……の時間ではもうないですね。ライバーで良かったですね」
「むっ……それどーゆー意味?」
笑顔のまま頬をぷくーっと膨らませる因幡先輩。
企業勢Vtuberの多くは配信を主に夜に行うため、昼夜逆転していたり生活習慣がめちゃくちゃだったりする。
したがって、収録の時の集合時間は昼過ぎなど比較的かなり遅く設定されている。
「そろそろ冬真っ盛りですね。体調管理は大丈夫ですか?」
「それ佑李ちゃんが言う〜?寒いのにかなり薄着じゃーん」
それでもこの人達にとっては十分早い時間設定と感じるらしく、彼らが抱く感心は本当に大したことではない。
僕が言ったのはライバーじゃない他の職に着いていたら生きていけないだろうというちょっとした皮肉だ。
この意味をわざわざ説明することもないだろうし、先輩もきっと自覚はあるはずだ。
「さぁて、今日の朝ごはんは」
見かけだけご機嫌斜めな先輩の目線が三種のケータリングーー楽屋に用意されているお弁当の方に向いて、少し明るくなる。
今日のメニューは唐揚げ弁当、幕の内弁当、親子丼というラインナップ。
個々人で胃袋の容量や食欲に差異があることを考慮して常識の範囲内で好きなだけ持って行ってもいいと言う決まりがあるため、人数に対してかなり量が多い。
僕は昼食に加え晩ご飯用にと唐揚げ弁当と親子丼を一つずつ頂いた。
割り箸を添えた幕の内弁当を両手に乗せて僕の前に座る因幡先輩に合わせて、僕も自分の唐揚げ弁当を開封する。
その隣に雑に放置されたお菓子の包み紙は十三個に達しており、因幡先輩が半ば引いてるような顔をしていた気がする。
「今日の台本、もう見た?」
「ざっくりと。サークルの飲み会とかでやったこともありますからね」
今回の企画ではワードウルフを行うらしい。
参加者はゲームマスターにお題の単語を配布されるのだが、数人だけ他の人と異なる単語が渡される。そのお題に沿った議論をし、最終的に違うお題について議論する少数派を炙り出せれば勝ちとなるゲーム。
普通のワードウルフと違う点はお題の内容が少し特徴的なこと。身内ネタがふんだんに採用されているらしい。
「態々公式でやるってことは何かしらの案件なのかね」
因幡先輩も言う通り、この種の企画は基本的に個人で人を呼んで行うことの方が圧倒的に多い。
しかし、
「そうみたいですね。ほら、ここ見てください」
「んー?どれどれー?」
台本の最終ページには次のようなことが書いてあった。
優勝賞品:卓上空気清浄機
名前の記載はないが、十中八九これが案件で間違いないと思う。
暫くして後輩ライバーたちが挨拶に来たが、少し話しただけで帰ってしまったので暇を持て余していた頃、
「おっ、美鶴戯。相変わらず早い早い。因幡もこの時間からいるのは珍しいな」
開けっ放しだったドアの方から快活な声が響き、僕らの意識が台本からそちらに向く。
威勢の良いこの人は駿美麗(はやみうらら)という人。
因幡先輩と同期であるこの人はプロフィール上では良家の清楚なお嬢様……ということになっているが、その実およそヤンキーのような性格をしており、と思えば仲間想いところがあったりと色々な面を見せる人で、チャンネル登録者数は91万人に達している。
例に漏れず僕も度々この人に相談をするくらいにはお世話になっている。
「こんにちは。もうそろそろ始まりますよ」
「ははっ、分かってるよ。相変わらず手厳しいねぇ。新人ちゃん達は?」
「別の楽屋にいるみたいだよ〜。さっき挨拶に来たから」
なるほど、と相槌をしながら駿美先輩は荷物とコートを因幡先輩の隣のパイプ椅子に降ろす。
程なくしてスタッフの人が僕らを呼びに来て、揃ってスタジオの方へと移動した。
数台のカメラが並ぶ簡素なスタジオには何人かのスタッフ、緊張で顔を滲ませる男女三人がいた。先ほどの後輩だろう。
極力笑顔で彼らに接しながら僕たちも席に着く。
「では本番開始します。3、2、1ーー」
2
その日の夜、デスクトップとモニターの間に設置された新品の空気清浄機を呆然と眺めていたときのこと。僕は頭の中で駿美先輩との会話を何度も反芻させていた。
「お疲れさん、美鶴戯。なんか今日地味にテンション低くなかったか?」
撮影終了後、駿美先輩に唐突にそんなことを言われた。
確かに僕は今日、普通では分からない程度には元気がなかった。
先輩は言葉を続ける。
「なんか悩みでもあんならアタシに言えよ?協力してやるからさ」
自然と僕は溜め息と笑みが漏れた。やはりこの人には敵わない。
「流石ですね。本当に他人の脳を覗く力でもあるんじゃないか疑わしいですよ」
「はは、褒め言葉と受け取っておくよ」
ちょっとした皮肉混じりの言葉を、先輩は好意として受け取った。
「大した話では無いんですがーー」
気づけば僕は脳裏に引っかかっていたことを詳らかに打ち明けていた。
かとりっちさんが少し前に炎上したこと、僕が今でも彼の一ファンであること、どうにかして彼とかつてのグループを再興させたいこと。
一方的に話している間、先輩はただ黙って聞いていた。
「……なるほどな。まさかあの不思議ちゃんで何考えてるかよく分かんない美鶴戯がそんな熱いこと考えてるとはなぁ」
「熱いってほどでは……うん?」
ナチュラルに刺された気がした。
「っていうか、大したことじゃないっていう割にめちゃくちゃ難しい問題だなこりゃ。美鶴戯は今のとこなんかアイデアあったりするのか?」
「あるにはあります」
現時点での僕の案を先輩に伝えた。
「些かハイリスクではありますがやってみる価値はあると思います」
「へぇ、面白いこと考えるな。分かった、アタシの方も出来るだけやってみるよ」
綱渡りになり得る僕の考えを先輩は快く受け入れてくれた。
時刻は夜に戻る。
今回の件は一歩間違えれば僕らも危険になる上に、かとりっちさんを寧ろ破滅に追いやってしまう可能性すらもある。
大きな目標を達成したければそれ相応の時間を掛けないといけない。
僕が、僕らがすることは飽くまでもきっかけをもたらすこと。
何も焦る必要はない、ただ計画通りに淡々とこなすだけ。
◯壇上では寂々と、幕内では溌剌と
「三回に一回くらいインターバルが入るっぽいんで、そのタイミングで一気に駆け抜ける感じですかね」
『え、マジか。今の一回で分かったの?』
翌る日、僕は元『かとり船行』のメンバーの一人であるピノミさんとコラボでゲーム配信をしていた。
今回取り扱っているゲームはバカゲーと名高い2Dアクションゲームで、内容はキャラクターを操作してゴールを目指すという至ってシンプルなもの。キャラデザインと動き方などに癖があり、初見の場合ツボに入る。
「ゴールは見えました。極力ミスらず頑張りましょう」
『いやほぼミスってんのそっちなんよ!』
笑い混じりにピノミさんがヘッドホン越しに痛烈なツッコミを入れてくる。
このゲーム、マルチプレイの場合片方がミスをするともう片方もミス判定になる。実のところ僕はゲームが、特にアクションアドベンチャー系のゲームがお世辞にも上手い方ではないため僕の方が頻繁にミスを犯している。
その後、2時間ほどキーボードの打鍵音と笑い声が響いた後、配信が終了した。
『いやぁ、お疲れ様〜。それで、話したいことって何?』
そもそも今回ピノミさんとコラボするに関して、僕が聴きたいことがあると持ち出したのがきっかけだ。
「お疲れ様です。少し重い内容なのでその上で聴いていただければ幸いです」
モニターに表示されている通話アプリ以外の画面を閉じながら、僕は一呼吸置いて話を始める。
「僕は今、これまでにないくらい幸せです。目標は違えど同じ信念を持ってそれに全力で走っている仲間がいること、手の届かない人達と出会える機会が得られたこと。勿論、ここに至るまでで様々な苦労や困難がありましたし、それは今も変わりありません。でも、それも全部ひっくるめて幸せなんです。……ピノみさんはどうですか?今が、一番幸せですか?」
奇妙な沈黙がヘッドホンと鼓膜の僅かな隙間を支配するのをひしひしと感じる。
『幸せ、か……。確かに今も幸せではあるさ。でも、やっぱりあの頃よりかは劣るなぁ。かとり船行時代は毎日夜になるのが楽しみだった。まぁ、もう無くなっちゃったけどね』
こちらの意図を察してか、ピノミさんは郷愁を感じている。顔は見えないので詳しくは分からないが、その声音にはどこか寂しさが混じっているような気がした。
「ならもし、その幸せな日々を再興できるとしたら、あの頃に戻りたいと思いますか?」
話している間、僕の心臓の鼓動は早まる一方だった。ここまでの緊張はきっとVtuberオーディション以来だと思う。
『あのさぁ、それ本気で言ってーー』
「勿論です!たとえ夢物語とか妄言だとか言われても僕は僕の想いを貫き通します。あの頃の盛況を、それ以上の物を僕の手で確実に掴みます。その為ならなんだってする所存です」
我ながら冷静さを欠いている自覚はあった。あまりにも無責任な言葉の数々だ。響くはずもない。
でも、ピノミさんは違った。
『……どうして、そこまでしてくれるのかなぁ』
ヘッドホンから漏れる声は、雑音とギリギリ処理されないほどの小さなものだった。
そして、その疑問に回答するのは至極簡単なことだった。
「大好きだから、ですよ」
時間にして数秒、僕にとっては数時間とも取れる間を開けて、溜め息混じりの笑い声が聞こえた。
『はは。全く、あの人も本当に罪な人だよ。一線を引いてもまだその熱が冷めないでいるんだから』
その答えを意味するところを僕は何となく察した。
『瀬名くん』
「はい」
ピノミさんに呼ばれた僕のライバー名に対し、はっきりと返事をする。
『これから君が何をしたいのかは分からない。でも、オレに何か出来ることがあるのならその時は全力で手を貸させて貰うよ』
そこ言葉を聞いた瞬間、全身から何かが溢れ出してくるのを感じた。
失敗を覚悟で、それこそ引退することになろうとも、或いは箱に迷惑をかけることになろうともしていたが、この人はそれを正面から受け止めてくれた。
「ありがとう……ございます!」
気づけば涙声になっていた僕の声が、マイクを通って伝わってしまう。
『待て待て、泣くのは早いって』
またピノミさんが笑う。今度は困ったような、それでいて嬉しそうな、そんな笑い方だ。
『それじゃ、早速だけど君の考えを教えてくれる?』
「はい、また少し長話になります」
かくして、僕はまた一人仲間を増やした。
1
後日事務所からほど近いファミレスにて、以前の収録で一緒になった先輩方と報告会をしていた。
ドリンクバーコーナーの前で難しい顔をしている因幡先輩を置いて、それぞれ烏龍茶とホットココアを持った僕と駿美先輩は席に着く。駿美先輩の凛々しい容貌にホットココアという組み合わせは逆に様になっていて面白い。
「先に始めちゃうか」
唇からカップを離しながら駿美先輩が言う。
「結論から言うと、ジエルさんはめちゃくちゃすんなりと承諾してくれた。余程突拍子もないことでもない限りは協力できるそうだ」
「正直に言ってジエルさんは呑んでくれると思ってましたが、改めて聞くと安心しますね」
「しかし、面白い人だよなぁあの人。うちの箱に来たら結構楽しくなりそうじゃないか?」
「無所属故の立ち位置や面白さもありますからね。案外今のスタイルを貫いてくれる方が良かったりもするかもしれないですね」
このジエルさんと僕がこの前勧誘に成功したピノミさんは共にかとり船行メンバーの囃し担当で、他のメンバーの人たちと比べても多くの人気を集めている。
「私の方も成功したよ〜。スタイルに反してすっごい真面目で礼儀正しくてびっくりしちゃった」
いつの間にか僕の隣に座っていた因幡先輩が明るい報告をしてくれた。
因幡先輩にお願いした勧誘相手はかとり船行元サブリーダー的立ち位置にいたりったんさんという方。
普段の配信や動画では戯けている様子が印象深いが、かとりっちさんに負けず劣らずの指揮能力やエンタメ性、そして最近ではそう珍しくもなくなったゲーマーでありながら歌の動画を出すというスタイルで活動している。
かとり船行解散後新たに組まれたグループでは彼がリーダーをしており、この理由から正直なところ彼は断ると思っていた。
「あ、でも一つ条件があるって言ってたよ」
「条件?」
安心したのも束の間、思い出したように因幡先輩が言葉を続ける。
「かとりっちさんに直接会わせてくれ、だって」
「分かりました。もしその時が来たら、僕が一緒に同行します」
先輩たちは無言で頷く。
今日の話し合いはこれで終わり、雑談に興じた後僕達は帰路に着いた。
これから少し長い戦いになる。けど、その準備はもう出来ている。
2
その夜、炎上以来活動頻度の下がったかとりっちさんが珍しく配信をしていたので、配信の予定がなかった僕はライバーのものでないアカウントで半ば興奮気味にそれを視聴していた。
配信内容は視聴者のチャットに返答すると言ったシンプルな形式のもの。
『お、スパチャありがとう。デート代にどうぞ?デートする相手すらいねぇんだよな』
炎上後に出していた動画でもそうだったが、元気な声は以前のように戻っているようで、どこか寂しさやその手の負の感情が拭えていないようにも感じられる。
『確かにさ、また色んな人と一緒にゲームするのもやりたいよ。でもやっぱりな、あの頃ほどのやる気というか、人呼んでうんたらかんたらってのがぶっちゃけしんどくてさ。気が引けると言うか』
現役時代にメンバーとの対談配信でピノミさんが語っていたのだが、かとりっちさんはかとり船行のリーダーとして配信の取り仕切りから配信者毎の予定調整、MOD開発者とのやりとりなど、企業であればスタッフがやるようなことまで全て一人で請け負っていた。
本人はさも当然のように振る舞っているように見えるが、実際のところその心労は僕たちがとても計り知れる物ではないだろう。
燃え尽き症候群のような、どこか疲れた様子がテンション感や雑談の話題から汲み取れる。
『宇宙人狼もなぁ、やりたいよ。やれるならね。でもやっぱ人集めとかがちょいめんどくさい。正直そこまでのバイタリティはもうないんだよな』
およそタヴーとも言える話題をさらりと出せてしまう辺り、そういう罪悪感だとかは殆ど拭い去れているのだろう。
同時にこの言葉は僕の思考を強制的に書き換えた。そういうことなら話は早い。
思い立った僕は早々にチャットアプリを立ち上げて、計画に参加している人たちがいる部屋に一件のメッセージを投げた。
やり方はもっと直接的でよかった。これに関して面倒なステップを踏む必要もなくなる。
『もう歌わないの?いや、俺歌い手じゃねぇのよ。まあいつか俺の時代が来たらまたやってやろうかな』
相変わらずリスクは高いままだし、全ての人から賛同を得られるとも限らない。だからこそ、やってみる価値はある。
◯本番間際の蟠り
計画が始まってから一ヶ月ほどが経過した。その間、僕たちはまた少しずつ協力者を増やし、何度もコラボをした。一方で僕はまた別でかとりっちさんと接触し、僕の枠は立てずにかとりっちさんの枠で半ば秘密裏にコラボを重ねた。
SNSで反応を見ていると、僕のリスナーの一部とかとりっちさんのリスナーの一部がそれを話題提起している様子が散見された。中にはその理由などを考察するような投稿も見受けられるが、幸いと言うべきか僕が確認した中には否定的な意見を発する人はあまりいなかったし、そのマイノリティな否定派のコメントの内容も取るに足らないものだった。
ところで、この一連のネットサーフィンはたった今駅前の待ち合わせスポットで行っている。
例のりったんさんの参加条件であるかとりっちさんと直に会うという約束を果たすべく、30分ほど前からその合流地点に待機していると言うわけだ。
二人には僕の「中の人」がバレてしまうが、何も写真を撮るわけでもなければ、二人も普段から顔出しの動画を投稿しているわけでは無いので、正直問題はない。
暫くネットの海を漫遊しスマホを仕舞おうとすると、僕の方に近づく人の姿が目に入った。デニムジーンズに赤のパーカーを着た僕より少し小さいその男性は、顔に小さな笑みを湛えて僕に右手のひらを向ける。
「はじめまして。かとりっちさんでお間違いないでしょうか?」
「はじめまして。そういうそっちは美鶴戯くん?」
何度かコラボをした上でお互いのことはある程度知り合っているので、双方既にかなり気を許せる存在になっている。
「遂に三日後ですね、大型コラボ」
「だな。正直めっちゃ心配だし緊張もしてる。なんならここに来るまでずっと震えてたからな」
「はは、流石に過剰ですよ。でも大丈夫です、必ず成功させますから」
「なんだかな……一見無鉄砲に聞こえるけど、お前が言うとなんとなく本当にそうなりそうなんだよな」
「取り敢えず、今日を乗り切りましょう。尤も、これに関しては僕よりかとりっちさんの方が一日の長があると思いますが」
待ち合わせから一分ほど過ぎたころ、駅の出口から一人の男性が真っ直ぐこちらに歩いてくるのが見えた。
僕と目が合ってすぐに視線を隣に、かとりっちさんの方にやるその人の顔は憤怒とも、悔恨とも取れる。
残り五歩ほどの距離に近づいたとき、その人はかとりっちさんの方に走り出した。
危惧していた可能性を再認識した僕は間に入ろうとしたが、
「ーーっ!」
かとりっちさんを見て瞬時にその必要がないと判断し、一か八かに賭けて静観を試みた。
その賭けは当たり、駆けてきた人はかとりっちさんに攻撃を加えるでもなくーー力強く抱きしめていた。
「ごめんな……気づいてやれなくて……!」
邂逅一番、その人が口にしたのは謝辞の言葉だった。そして、同時に僕の中で合点が行った。
「りったん……」
ワックスで程よく毛先を遊ばせたこの人こそがかとり船行元サブリーダーのりったんさんだ。
下を向いてぽつぽつと語り始めるりったんさんを見てこれ以上悪い方向に行かないと判断した僕は、黙って両者の会話に傾聴した。
「お前がいなくなってようやく気づいたんだよ。仕切りも人集めもスケジューリングも交渉もグッズも、何取っても大変だった。企業勢になってからそういうのは大半裏方のスタッフがやってくれるけどよ、お前これを全部一人でやってたんだよな……なのにそれを分かってて……いや、分かった気になってお前のこと無神経に怒鳴っちまった……。許せなんて言わないさ。けど、本当にすまなかった……」
「お前が謝る必要なんてないだろ。寧ろ、炎上の原因を作っちまったのは他でもない俺だ。謝るのは俺の方だよ。俺の勝手な判断で皆んなの人生を潰すようなことをした。お前らに頼らず、出来るかどうかギリギリのことをやり過ぎた結果がこれだ。解散前にも言った通り、俺のリーダーとしての素質が足りてなかったせいでお前らには迷惑をかけちまった……。本当にごめんな」
「っーーー。お前って奴はさぁ……!」
かとりっちさんの両肩を諸手でがっしりと掴んでりったんさんは顔面をくしゃくしゃにして激しく嗚咽を漏らす。そんな彼の背をかとりっちさんは右手でさすっていたが、その左手は自身の両目を覆い隠していた。
僕も少し涙腺が緩みかけたが、ピノミさんとの一件が脳裏を過って何とか自制した。
やがてさて置かれていた僕を思い出したお二人は恥ずかしそうにお互いから離れた。
それを確認して僕は提案した。
「お二人ともまだ話し足りないかと思いますが、僕も同意見です。場所を移しませんか?この近くに僕たち御用達の焼肉屋があります」
そこで二人は自らが空腹であることに気づいたらしい。すぐに賛同を得られた。
移動の道中と店での二時間、僕たちは銘々に思いの丈を語り明かした。
いちファンとしては決して知り得ないような裏話も聞けて、少なくとも僕にとってはとても有意義な時間となった。
3
遂に計画実行の日、一斉配信開始時間である21時5分を15分後に控えて、僕は初配信以来の大きな緊張感を感じていた。
無理もないだろう。何せ一手でも違えたら全員共倒れとなってもおかしくないのだから。
しかしここまで来た以上後戻りはできない。打てる手はほぼ出尽くした。後は少しの運に身を委ねるしかない。
ボイスチャットにはうちの箱のメンバーである僕、因幡先輩、駿美先輩、元かとり船行メンバーのかとりっちさん、りったんさん、ピノミさん、ジエルさん、そこから更に僕の後輩や他の宇宙人狼実況者などそれぞれで声を掛けた人たちを含めて合計13人がいる。
意を決して僕は口を開いた。
「皆さん、今日この場に集まってくれたことに改めて感謝します。僕のエゴにここまで付き合っていただいて本当にありがとうございます。皆さんの理解と協力がなければ辿り着けなかったと思います。正直なところ、このプロジェクトが成功するか失敗するか、それは未だに不明瞭なままです。どちらに転ぼうが今日が皆さんにとって忘れられない日になると思います。トラブルや責任は全て僕に押し付けて構いません。だからーー」
一旦切って僕は大きく息を吸った。
そして、力強い声で言葉を繋げる。
「ーー今晩は全力で愉しみましょう!」
一瞬間が空いて、ヘッドホンは拍手と歓声で包まれた。些か僕にとって都合の良すぎる反応かも知れないが、少なくともかとり船行メンバーの人達はそうあってもおかしくはないだろうからあまり気にしないでおいた。
刻一刻と時が過ぎ部屋の壁に掛けてある時計の長針が12を差した頃、僕たちは一斉に配信を開始した。
◯論功行賞
『乾杯!!』
あの配信から1ヶ月後、俺たちは以前美鶴戯くんと初めて会ったあの駅からほど近い居酒屋に配信に参加した13人で来ていた。
そもそもが超大型コラボであったこと、Vtuber間で宇宙人狼のブームが過ぎて暫く経っていたこと、企業勢Vtuberと宇宙人狼実況者がコラボしたことなど多くの要素が絡み合って、最終的にあの配信はこれまでに経験のないくらい大きな反響を呼んだ。
俺が出ていることで批判的に見るコメントもあったが、幸い炎上はしなかった。
「そう言えば、私はあんまり知らされてなかったんですけど、美鶴戯先輩の計画ってどんな感じだったんですか?」
おそらく美鶴戯くんの後輩ライバーであろう女の子が疑問を口にする。
因みに、個室を貸し切っているためよほど大声を出さない限りは余計な情報の漏れも発生しない。
「知っての通りそもそもの話、大元のこの計画の目的はかとりっちさんの再興っていう僕の願望だったんだ。ただ言葉を選ばずに言うと、一度炎上して一線を退いた以上最大限の配慮をする必要があった」
事実とはいえ流石に少しだけ耳が痛いが、それ以上に大成功したその計画の全てを聞きたい気持ちが勝った。
「大前提として、この計画の達成のためには協力者、それもかとりっちさんと交流が深かったかとり船行のメンバーの人がいて欲しいと思ったんだ。ここで最初にかとりっちさんに声を掛けてそれを受け入れてくれたとしても、他に仲間がいないんじゃどうしようもないからね。そしてこれに応じてくれたのがりったんさん、ピノミさん、ジエルさんのお三方だね。因幡先輩と駿美先輩にもご協力頂いたんだ」
今名前を出された二人が誇らしげに胸を張る。
その内のイジられ担当でもあったネタキャラのジエルはこの前とあるマルチプレイゲームにおける駿美さんとの絡みで、ファーストコンタクトで事故に遭うというとんでもない状況を切り抜かれて少し話題になっていた。
「そうしたら今度はかとりっちさんにコンタクトを取って何度かコラボして信頼を得る。社会に、そしてかとりっちさんにね」
「我ながら上手く丸め込まれたと思ったよ」
率直な意見を言っておく。
美鶴戯くんはやや苦笑していた。
「ここで少し変更点があって、当初の予定では何度か複数人でのコラボを経て最終的に宇宙人狼をっていう流れにするはずだったんだ。その過程で複数人でやる面白さを思い出すうちに思いが再燃してくるんじゃないかと思ってね。そんな折に偶然やってたかとりっちさんの配信を見て、その中で宇宙人狼をやりたいって言う意思確認が図らずも出来てしまったから、さっきの過程をすっ飛ばして行けたんだよ」
俺は知らなかったが、久々にやった雑談配信を見てくれていたらしい。しかしまぁ何と言うか、自分を思ってくれてる人の言葉っていうのは本当によく刺さるんだよな。
「一番重要且つ簡単な工夫としては配信を敢えて五分遅延させることだね。麻雀とかの大会の配信ではゴースティング防止措置として配信をリアルタイムより数分遅延させてるんだ。配信画面の時計とリアルの時間がズレてるって気づいたらズルできないって分かるでしょ?全員がこれをすることによって視聴者に僕たちは正当なプレーをしていますっていう証明ができるんだ。その証拠に、今回の配信におけるアンチコメントには配信内でゴースティングを『している』という旨のものはなかった。ここまで徹底していれば、ゴースティングっていう一点を重視しているであろう人たちはその疑念を僅かに残しつつもそれを火種として再度燃やすことも出来ないし、その他の火種を探すこともしない。態々配信を21時5分から始めたのにはそう言う意図があったんだ」
ひと通り話し終えると、彼以外のメンバーは皆一様に顔を驚嘆の色に染めていた。
先ほどの女の子が思い出したかのように興奮を露わにする。
「せ、先輩、凄すぎます!どうやったらそんなこと分かるようになるんですか!?」
これに対し美鶴戯くんは驕るでもなく落ち着いて返答する。
「そうだね……最初から全てが分かっているなんてことはないさ。何せ多くの人が成し遂げていないようなことをしていたわけだからずっとお先真っ暗でね。けど一つ言えるのは、本当に好きなことならどれだけ大変でもやりたくなる。それだけ僕にとってかとりっちさんという人は大きな存在だった。そういうことかな」
おおー、と素直な反応が返ってくる。
「……かとりっちさん?」
気づけば俺の目頭はすっかり熱くなっていた。ここまで自分を想ってくれる人がいたこと、何より、これまで積み上げてきたものが無駄でないことが証明されて、登録者数が20万人を超えたとき以来の大きな喜びと感動を与えられてしまったからだろう。
「ああ、ったく、……お前のせいだぞ。こんな情けねぇザマ晒しちまってよ……」
精一杯の強がりで対抗するが、どう見ても照れ隠しにしかならない。
「はは、すいません」
軽く笑いながら美鶴戯くんが返した。
1
宴会の後日、部屋のベッドに寝っ転がった僕はスマホを操作してかとりっちさんのチャンネルを表示する。
あの一件以来登録者が急増して、今や炎上以前のおよそ2倍に当たる40万人を目前としている。
大きな変化としてかとり船行の再興、ミニVRモデルの実装、裏方の増加が挙げられ、これまでより良い環境での配信活動が出来ていることだろう。
そしてその変化は僕にもあり、なんとかとり船行の一員として認められたのだ。そもそもかとり船行再興だけでも想定以上の結果なのに、お釣りがついてきてしまった。
今後はもっと直接的にかとりっちさんをサポートできる、そう考えるだけでも興奮が抑えられない。
そういえば、今晩はかとりっちさんの40万人耐久配信があった。是非とも一枚噛ませてもらおう。思い立った僕は起き上がり、デスク上のPCと空気清浄機を起動した。
「さあ、愉しい時間の始まりだ」